《記事内容》
「たったそれだけ?」の容量で、何十時間も遊べるゲームが作られた
1983年に発売され、2023年で40周年を迎える「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」。日本中を夢中にしたゲーム機ですが、そのスペックはどれほどのものだったのでしょうか? 現代のゲーム機・スマートフォンと比較しながら、当時のゲーム開発における数々の工夫もご紹介します。
●現代のゲーム機と比べると2000倍近くの差が
1983年に発売された家庭用ゲームとして、ファミコンは圧倒的な高性能でした。当時、ファミコンに採用されていたのは、リコー製の「2A03」というCPUです。『スーパーマリオブラザーズ』『ドンキーコング』などは、アーケードゲームと比較してもそん色ないレベルでプレイすることができました。
その性能の指標のひとつであるCPUのクロック数は、1.79メガヘルツでした。これを現代のゲーム機と比較してみると……「PlayStation 5」のCPUは3.5ギガヘルツ。また、iPhone14に搭載されているCPUは3.23ギガヘルツ。単純にこの数値だけを比較してみると、ざっくり2000倍近くもの差があるのです。
当然ながら、ソフトの容量にも大変な違いがあります。ファミコンで最大の容量を持ったソフトは、1991年発売の『メタルスレイダーグローリー』。製作期間は4年以上という大作で、容量はファミコン唯一の1メガバイト(8メガビット)を誇ります。
しかし、現代人からすると「それだけ?」というレベルの容量です。たとえば、スマートフォンで撮影された写真の容量は、たった1枚で1~4メガバイト。ファミコン最大の『メタルスレイダーグローリー』でさえ、写真1枚の数分の1のサイズしかありません。もっと言えば、ファミコン初期に発売された『スーパーマリオブラザーズ』の容量は40キロバイト。写真1枚の数十分の1です。
これほど少ない容量のなかで、何時間も遊べるアクションゲームや、重厚なRPGを作っていたとは驚きです。しかしながら、当時のゲーム開発では、限られた容量で面白さを追求するため、数々の工夫が凝らされていました。
ファミコンソフト開発は容量との戦い
●『ドラゴンクエスト』も容量に悩まされながら開発
たとえば、初代『ドラゴンクエスト』(容量:64キロバイト)の場合、キャラクターは常に前を向いた状態で描画されていました。「カニ歩き」と呼ばれることもありましたが、容量節約のためには仕方のない仕様だったのです。
さらには、シナリオライターである堀井雄二氏は、ゲーム中で使うカタカナは「20文字」に絞り込んだといいます。「ダースドラゴン」も、本来は「ダークドラゴン」にしたかったものの、使えるカタカナリストに「ク」が入っていなかったため、この名前になったことが知られています。
しかしながら、モンスター・呪文・都市の名前など、制約があるなかで独特のクセがあるネーミングを生み出したのは、驚異的なセンスだと言えます。
●『FF』で「飛空艇8倍速」を実現した天才プログラマー
容量という壁を、天才的な能力で切り抜けた人物も存在します。「ファイナルファンタジー」シリーズに参加した、ナーシャ・ジベリ氏です。彼は、イランの王族出身でありながら、スクウェアに入社したという異色の経歴の持ち主。天才プログラマーとして数々の逸話を持ちます。
有名なエピソードとして、初代『ファイナルファンタジー』(容量:256キロバイト)の開発時に、彼は「飛空艇に影をつける」という仕事を行いました。当然、容量に頭を悩ませられる時代だったため、周囲の人物は無理だろうと思っていたものの……翌日、彼は飛空艇に影をつけただけでなく、おまけに「4倍速移動」まで実現させ、周囲を驚愕させたといいます。
さらに『FFII』、『FFIII』では、飛空艇の8倍速を実現。当時彼の同僚だった梶谷眞一郎氏は、インタビューで「飛空艇の高速移動が実はバグ」だということを話しています。ファミコンの本来の性能を超えたスピードを実現していたのです。
ハード性能が数百倍、数千倍となった現代でも、レトロゲームの魅力に取りつかれた人はたくさんいます。もちろん、「思い出補正」があってのことかもしれませんが……性能の限界と戦いながら、工夫を凝らしていたからこそ、いまプレイしても楽しいゲームが生み出されたのかもしれません。
ネットでの反応
ゲーム機とは違いますが、69年に月面へ行ったアポロ11号よりはファミコンの方が性能面等々優れているそうです。 私の子供時代はファミコンやスーファミだったのでそれから考えるとファミコンよりスペックが下のものでよく月まで行けたなと思います。 PS2が発売された当時もとても高性能で当初は兵器として使われる危険性もあったが今のゲーム機とは比べ物にならないほど低い。 新しいゲーム機も良いが私はファミコンやスーファミのあの何とも言えないドット絵が好きでした。
昔のゲームは容量や処理能力の低さをいかにカバーするかがキモでした。だからアニメーションさせる時も「スプライト」という技法を使いました。例えば黒い背景の中を腕を振って歩くキャラの場合で腕部分の描画色が赤と肌色なら、この色に番号を付けて赤は1番、肌色は2番で描き、動かない部分に同じ色があっても別の番号を割り付けます。こうしておいて、「ルックアップテーブル」という色番号毎の表示色指定で1、2番だけ黒に変えると描いた腕が消えて見えるから、ルックアップテーブルを切り替える事で腕が動いて見える。絵を直接描きかえると動きがカクカクになる処理能力でも、表示色の切り替えは速いことを利用して素早く動かす、涙ぐましい努力だったのです。今はGPUでゴリゴリ画面全体を描き換えてますけどね。
もう一つ、ファミコン(PS2、Wii、DSまでの世代のハード)では、ゲームソフトにバグは厳禁でした。なぜなら、現在では当たり前の「修正パッチ」が存在しなかったからです。もしも顕著なバグでもあろうものなら、回収&交換しかありませんでした。 涙ぐましい努力が重ねられてきたのは確かです。
音楽にはたしか音を同時に4つまでしか使えないという制約があった。 その中でスーパーマリオやドラクエ、ファイナルファンタジー、ロックマン、魔界村といった名曲が生み出されていった。 ゲーム性が単純なだけに、音楽の与える影響は大きかったと思う。FFのプレリュードや戦闘シーン、ロックマン2のワイリーステージなんかはめっちゃテンション上がった。 ゲーム音楽と侮る人も多いけど、世界で何万、何百万本も売れるゲームなわけで、そのゲームの作曲を誰に依頼するかということを考えれば、そりゃもちろん厳選するわけだよね。 実際に高名な作曲家やゲーム音楽の作曲をきっかけに羽ばたいた人もたくさんいた。 ゲームをする際はぜひ音楽にも注目してほしい。
ファミコン世代としては、容量の問題で表現を試行錯誤してゲームを作り、我々はそれを楽しんでいました。時代が進む毎に出来ることが増え飛躍的にゲームが進化するのには、子供心に凄い衝撃的でした。今では実写と相違ないグラフィックでゲームが出来ますが、正直ps4やps5の衝撃よりもファミコンスーファミやps.ps2への進化が衝撃的でした。その時代に子供時代が当たった事に幸せを感じます。
自分はゲームボーイカラーだったんですが、それでも今と比べても据え置きは勿論
携帯ゲームもグラフィックの綺麗さには都度驚きを感じます。
同様に容量の大きさにも…笑
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