『ポケモン』最新作が大ヒット。初代『赤・緑』の何が革新的かを振り返る

《記事内容》

シリーズ最新作はオープンワールド!

11月18日に『ポケットモンスター』シリーズ本編最新作『ポケットモンスター スカーレット・バイオレット』が発売されました。今回はシリーズで初めてとなるオープンワールドタイトル。新しい『ポケモン』の幕開けとなりそうです。前作『ソード・シールド』は全世界累計販売本数2537万本。『スカーレット・バイオレット』は3000万本を超えられるでしょうか?


すべての原点『ポケットモンスター 赤・緑

さて、今回のコラムはすべての始まりである初代『ポケットモンスター』を振り返ってみたいと思います。『ポケットモンスター 赤・緑』がゲームボーイで発売されたのは1996年2月27日。実は、当時のゲームボーイは発売から約7年が過ぎ、『テトリス』などのヒット作が出たものの、この頃には「ほぼ終わっているハード」と認識されていました。

発売ソフトもまばらな中、登場したのが『ポケットモンスター 赤・緑』。もちろん当初は知名度は低く、売上ランキングのトップテンにも入らない状況。『ポケモン・ストーリー』(畠山けんじ/久保雅一・著)によると、6年間という長期にわたる開発期間には見合わない、『赤・緑』合わせて約12万本という初週売上だったそうです。

少し脱線して個人的な思い出になりますが、私は『ポケットモンスター 緑』を発売日に手に入れたひとり。当時バイトをしていた出版社の上司が、発売初日に突然『ポケットモンスター』を買ってきて半日プレイしたかと思いきや、「面白いからみんな買え!」と鶴の一声で量販店に直行。その日から社内でとてつもなく盛り上がり、すぐに攻略本を作ることが決まりました。「こんな面白いゲームが埋もれてしまうのはもったいない」、そうした気持ちを強く抱いたのを覚えています。

その後、初代『ポケットモンスター』は口コミでじわじわと広まり、都市伝説となるよう密かに仕込んでいたという、通常プレイでは出現しない151匹目の幻のポケモン・ミュウの噂も手伝って、発売から半年過ぎた頃についに100万本を突破したそうです。

1997年4月に放送を開始したアニメも大ブームに。正確な数字は出ていませんが、最終的には初代『ポケットモンスター』は全世界で3000万本以上を売り上げたと言われています。

『ポケットモンスター』のブレイクによってゲームボーイ市場は息を吹き返し、「ゲームボーイポケット」「ゲームボーイカラー」、そして「ゲームボーイアドバンス」へとつながっていきます。

もし、初代『ポケットモンスター』がなかったらゲームボーイはひっそりと寿命を終え、携帯ゲーム機の歴史はまた別のものになっていたかもしれません。静かな池にぽつんと起きた波紋が、とてつもない渦になって世界を巻き込む。『ポケットモンスター』という社会現象はゲームの歴史を変えたといっても過言ではないでしょう。
初代『ポケットモンスター』の革命

では、なぜこれだけ『ポケットモンスター』がヒットしたかというと、それは従来のRPGの常識を超えるエンターテイメント体験をユーザーに与えたから。その3つのポイントを簡単に見ていきましょう。

(1)主人公が戦闘せず、モンスターが主役

モンスターを仲間にして戦うRPGは『ドラゴンクエストV』(1992年)を筆頭に『女神転生』『真・女神転生』シリーズなど、すでに存在していました。ただ、それらはメインで戦うのは主人公で、モンスターはお供。『ポケットモンスター』はモンスターがバトルの主役となっているのが新鮮でした。しかも、ゲームの大きな目的は150種類のポケモンを集め図鑑を完成させること。RPGの障害としての敵という概念を変えて、集めるものであり、仲間であるという発想の転換が行われていました。

(2)プレイヤー同士の通信交換

もともとゲームボーイはケーブルを介した通信機能を搭載していましたが、『テトリス』のような通信対戦が中心で、今ひとつ機能を活かしきれていない状況が続いていました。

『ポケットモンスター』の生みの親・田尻智さんは当初から通信ケーブルでのデータ交換に着目し、「交換して楽しむ」を軸に据えたコンセプトでゲームデザインを進めていました。プレイヤー同士の交換を促すために、2種のバージョン違いで出現するポケモンが一部異なるという仕掛けは最新作にも受け継がれています。

「ユンゲラー→フーディン」「ゴーリキー→カイリキー」など、交換することで進化するポケモンもいて、持ち寄って遊べるゲームボーイの携帯性をうまくゲーム内容に採り入れたタイトルが初代『ポケットモンスター』だったといえます。

以下詳細


ネットでの反応

初代の世代です。恐らくですが、モンスターを仲間にして戦うという概念はドラクエ5が大きかったのかなと思っています。
モンスターにも仲間になる確率がレアなモンスターもいて、収集大好きな子供たちにはレアモンスターを仲間にする事がステータスだったりして、良いシステムでした。
それがより具現化したのがポケモンだと思います。ジャンケンの様にタイプ別で有利不利もあり、パーティ構成、技構成という戦略性が高かった事に加えて、通信での対戦、進化というのは衝撃でした。

全部仲間にしたい、全部使いたいというやり込み要素もあり、1人で2色揃える事もあるなど、他ゲームの良い点を組み入れながら作った新しい風だったと思います。
この時代にゲームができて本当によかったと思う。今のゲームは良くも悪くも単発で楽しめる。それだけハイクオリティで、とても楽しい。
ただ、この時代から今に至るまでのゲームの進化の過程を楽しめたことが本当によかったし、自分の中で価値のあるものになった。
ゲームボーイや64、初期のプレステやセガサターンを知っているからこそ、現代のゲームに改めて感動したり、楽しめたりすることもできる。
ゲームに限らず、あらゆる娯楽は人生を豊かにする可能性を秘めているなと思った。
決して無駄ばかりではない。
初代世代です。
ポケモンはRPGに二人プレー(対人戦)を持ち込んだのが一番だと思います。
それまでのRPGは攻略情報の共有は出来ても何処まで行っても一人プレーでしたがポケモンは交換や対戦で友達と協力したり競ったり出来たのが良かったと思います。
次にパーティ編成の自由度。それまでは四人なら四人、決まったメンバーで冒険をしていましたがポケモンは151匹のポケモンから自由に編成できました。
タイプ相性で編成をバラつかせたり、ただ自分の好きなモンスターだけで編成したり自由でした。極端な友人はピッピのみとか鳥ポケモンのみとかの編成の友達もいて、一人一人パーティに個性を出せたのも当時としては新しかったのではないでしょうか。
個人的には、ポケットモンスターが「当時の日本のおもちゃ」の集大成だったことは間違いないと思う。この記事ではドラゴンクエスト5を挙げているけれど、それはもちろんのこと、同時期に販売された「たまごっち」のように、子供達が「自分のペットを育てて、持ち運ぶ」風潮もポケモンの売上に貢献した(拍車をかけた)理由になるのでは。
楽しかったなー
レベル上げやタイプの弱点を狙った攻撃、仲間が増える楽しさ、そして裏技。そういった最高の要素が子供の頃の私にはぐさっと刺さりました。
あの頃楽しかったことを今のポケモンでやりたくて買ってみましたが、タイプも増えてバトルシステムも複雑でレベル上げが作業に感じてしまいました。
自分の感性が子供の頃とずいぶん変わってしまったのだと寂しくなりましたが、今のポケモンを楽しめる子供は羨ましいと思いました。

非日常的な冒険の世界で見知らぬ生物を育て、闘う。
それがデフォルトになり、そこから様々なゲームへ派生…
出来ることも増えてきて、面白くないはずが無いですよね!!

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